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喜多院正門 喜多院境内 2004年11月14日
家光生誕の間 2004年
- 2004年は、家光が川越で生まれて400年目にあたりました。
喜多院を中心に生誕400年記念事業が盛大にいとなまれました。
三代将軍 家光(1604-1651)は幕藩体制の完成者です。 - 喜多院には家光を育てた「春日局 (かすがのつぼね)化粧の間」があります。春日局は家光の乳母 (めのと)で、家光を将軍に押し立てた立役者です。
【追】
- 義経、伊勢物語、太田道灌、江戸城、家光などを通して歴史を実感できる学生諸君はしあわせです。北海道出身のある人が言っていました。
「藩、武士、寺、城とかが、北海道では遠い宇宙の出来ごとのようで、どうしても歴史が好きになれませんでした」
- 江戸城は火災で丸焼けとなり、遺構は何一つ残っていません。
- しかし、川越の喜多院には家光の誕生した部屋や春日局(かすがのつぼね)の部屋などが残っています。
- 1599年、家康のブレーンであった天海が喜多院の住職となりました。
1611年、家康は川越を訪れ天海に面会しています。
天海は喜多院を関東天台宗の本山にしました。
2代秀忠、3代家光にも仕えました。
上野に寛永寺を創建しました。 - 家康の死去にあたって、棺(ひつぎ)は静岡の駿府から、わざわざ喜多院に立ち寄り、日光に埋葬されました。
- 1638年、川越大火により喜多院は全焼しました。
家康、天海を崇敬していた家光は、ただちに喜多院を再建しました。
そのとき、自分の生まれた部屋や乳母(うば)の春日局の部屋などを移築しました。
いまに残る唯一の江戸城の形見となっています。 - 喜多院
- 喜多院 ウィキペディア
- 大型店との競争が激化している商店街では、集客の目玉として、生の実演を楽しむ大衆演劇や落語を核とした商店街の活性化が盛んになってきています。
- 大阪市の天神橋筋商店街は、落語の寄席「天満天神繁盛亭」の開業(2006年)で人通りが増えています。 経済波及効果は、116億円にのぼります。
- 新潟市の大衆演劇場「新潟古町演芸場」(2005年開業)は商店街に活気をもたらしています。
- 和歌山市の「紀の国ぶらくり劇場」、奈良県大和高田市の「弁天座」、高松市の「大衆劇場仏生山 (ぶっしょうざん)」、横浜市の大衆芸能ホール「横浜にぎわい座」 も同様です。
- 高齢化の影響で、庶民的な芸能が再認識され、大衆演劇や落語などの施設が全国で相次いで誕生しています。
たとえば、奈良県大和高田市の「弁天座」、高松市の「大衆劇場仏生山」、大阪市天王寺区「雀(すずめ)のおやど」、奈良市奈良町の「落語ふぇすてぃばる」、大阪府池田市の「落語ミュージアム」などです。 - 川越市の「湯遊ランド」では、股旅ものの踊り、女装した役者の日本舞踊、歌謡ショーなどを365日催しており、熱心な大衆演劇ファンを引きつけています。
- 「能など古典芸能と比べて敷居が低く、低料金でだれでも気軽に楽しめるのが大衆芸能の魅力。団塊世代の大量退職で、今後はファンの増加が見込める」と読売新聞は報じています(2006年06月08日)。
- 湯遊ランドは、川越駅のクレアモールの先にあります。クレアモールは1200メートルあり、埼玉一長く盛んな繁華街です。